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あれから6年。海外出向の記録0

このブログサイトを立ち上げてからかれこれ6年が経つ。あれからライフステージも変わり二児の父になり、管理職にあがり、いつのまにか海外ですら仕事をしている。これもある意味この五里霧中なブログのおかげと言っても良い。言語化力の鍛錬には本当に効果があった。

さて、いまさら誰も見てないこのブログにこっそりと海外出向の記録を書こうと思った理由は2つだ。1つはこの海外出向で何も成果がないような不安に駆られて一度整理したくなったからだ。よく海外出向者は何でも屋的な文脈で語られるが、確かに間違いではないが単に正当化することはとても危険だ。それは何かしらの1つは大きなミッションがあるかが大きな分岐点である。私の場合、1年目こそミッションを持ち、語学力不足もあり全く振るわないながらも色々やった。しかし、2年目はもはや本当の雑用係であった。雑用をやると現地メンバーからはなんでお前が?学生がやる仕事じゃん!と揶揄され、マネジメント業務をやるとなんでお前が?と言われてしまう。そんな高級雑用係を1日8時間やると体は元気、心も元気、キャリアは空っぽになる。なまじ海外経験をしてしまいエリートキャリアなのにポンコツ社員である自分に虚しさを感じてしまう。この辺りを整理して得られたものを言語化したいと思っている。2つ目は海外における会社の閉鎖は珍しい経験で記録しておきたいと思ったのだ。これらが主な理由だ。

海外出向に対する偏見はそれは甚だしく、新事業で海外にいって半ばバリバリ仕事をするイメージを持っていた。しかし、語学力を抜きにすると、蓋を開けると現地と本社の意向のすれ違い、客の代金未払い、数少ない新事業担当の現地社員退職&カバー、そして事業撤退の決定。事業として考えるとほとんどがスタックしていた。コレが1年目であった。そして2年目。早々に本業も当地域からの撤退通知(会社閉鎖)。現地メンバーのお前は良いよな?的な目線、挨拶がよそよそしくなり時に無視、本社側事業トップないしは会社トップへの罵詈雑言などを受けつつ、微妙な立ち位置で微妙な立ち回りで成果の見えないフォローをこなし、時にエスカレをするもウンザリするほどポンコツなフィードバックしかない状況などを垣間見ながらひたすらメンタルを鬼にしながら微妙な立場を貫いてきた。そして3年目が来年度が始まろうとしているわけだが、待ち受ける未来をどう対応すべきかを今考えている。

この機にこの奇妙な海外出向を思い返しメモがわりに残そうと思う。どこまで書くかは分からないけど、とりあえずせめて2本くらいメモとして残そうと思う。

にしても改めて見ると酷いブログだ。読み手のことが全然考えられてないし、惣流・アスカ・ラングレー的自己顕示欲も感じる。

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